1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/05/12(火) 11:21:30.24 ID:???*.net
女子アナと野球選手が結婚するケースは多いが、実際のところどんな経緯で交際から結婚にまで至るのだろうか。1994年にフジテレビ入社、『プロ野球ニュース』のキャスターとして人気を博した木佐彩子アナが、2000年に元ヤクルト・石井一久氏と結婚するまでの経緯について告白した。
* * *
主人とは付き合うなら結婚すると腹を括っていました。
当時、私は『プロ野球ニュース』のキャスターをしていたので、特定の選手と交際し続けるのは立場上まずいと考えていました。彼とは1年半友人でしたが、人柄に接するごとに「結婚してもいいな」と思えるようになったんです。
発覚すると周囲に迷惑をかけるので、細心の注意を払いました。マスコミ対策として、彼は車を大きな四駆に買い替えました。私が乗った時に、外から見えないように助手席の足元に隠れることができるからです。
会う場所は、当時住んでいた私の実家が多かったなぁ。親は野球選手に派手なイメージを抱いていたので、人柄を見てもらいたくて、交際から程なくして紹介しました。
それでも、結局、週刊誌に撮られてしまいました。野村克也監督には、「なんでカツノリじゃないんだ。サッチーも、おまえならかわいがるぞ」と冗談でボヤかれましたけど(笑い)。
そもそもの出会いは、新人のときに招かれた大学の同級生のホームパーティー。でも、話をしたかすら覚えていませんし、特に印象も残っていない程度でした。
3年目で『プロ野球ニュース』の担当になり、球場で再会。他の野球選手は「お疲れ様です!」と体育会のノリで元気がいいのに、「あー。久しぶりでーす」と、のほほんとした挨拶。おおらかな感じの人だな~って。試合前でもピリピリせず、ドーンとしている印象も受けましたね。
彼は当時、フジテレビのヤクルト担当記者と仲が良く、試合が終わるとよく局に来ていたんです。当時、私は木曜と金曜は朝の『めざましテレビ』にも出演していたので準備のために深夜に出社すると、彼が局にいて挨拶を交わすような仲が続いたんです。それからスタッフと一緒に、ご飯に行くようになりました。彼はその頃から、「メジャーに行きたい」と話していたので、私がアメリカで育ったことも、妻候補としては大きかったのかもしれませんね(笑い)。
結婚を決めたときには、「僕の結果であまり一喜一憂しないでほしい」といってくれました。「負けたら僕の責任だし、勝っても僕のおかげだから」と。少し気が楽になりました。
私は「何かあったら、私が食べさせてあげる」っていいました。アスリートは突然のケガで選手生命が絶たれる可能性もあります。結局、主人のメジャー行きについていくためフジテレビを辞めましたけど、当時は会社員という安定した立場だったので、「いざというときは私が」と思っていたんですよ。
●木佐彩子(きさ・あやこ):1971年東京都生まれ。小・中学校時代は米ロサンゼルスで過ごす。1994年フジテレビ入社後、3年目から『プロ野球ニュース』キャスターを務め、2000年に結婚。3年後に退社する。現在BS朝日『いま世界は』に出演中。
※週刊ポスト2015年5月22日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150512-00000009-pseven-ent
NEWS ポストセブン 5月12日(火)11時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150512-00000009-pseven-ent.view-000
石井一久氏との結婚について振り返る木佐彩子アナ
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主人とは付き合うなら結婚すると腹を括っていました。
当時、私は『プロ野球ニュース』のキャスターをしていたので、特定の選手と交際し続けるのは立場上まずいと考えていました。彼とは1年半友人でしたが、人柄に接するごとに「結婚してもいいな」と思えるようになったんです。
発覚すると周囲に迷惑をかけるので、細心の注意を払いました。マスコミ対策として、彼は車を大きな四駆に買い替えました。私が乗った時に、外から見えないように助手席の足元に隠れることができるからです。
会う場所は、当時住んでいた私の実家が多かったなぁ。親は野球選手に派手なイメージを抱いていたので、人柄を見てもらいたくて、交際から程なくして紹介しました。
それでも、結局、週刊誌に撮られてしまいました。野村克也監督には、「なんでカツノリじゃないんだ。サッチーも、おまえならかわいがるぞ」と冗談でボヤかれましたけど(笑い)。
そもそもの出会いは、新人のときに招かれた大学の同級生のホームパーティー。でも、話をしたかすら覚えていませんし、特に印象も残っていない程度でした。
3年目で『プロ野球ニュース』の担当になり、球場で再会。他の野球選手は「お疲れ様です!」と体育会のノリで元気がいいのに、「あー。久しぶりでーす」と、のほほんとした挨拶。おおらかな感じの人だな~って。試合前でもピリピリせず、ドーンとしている印象も受けましたね。
彼は当時、フジテレビのヤクルト担当記者と仲が良く、試合が終わるとよく局に来ていたんです。当時、私は木曜と金曜は朝の『めざましテレビ』にも出演していたので準備のために深夜に出社すると、彼が局にいて挨拶を交わすような仲が続いたんです。それからスタッフと一緒に、ご飯に行くようになりました。彼はその頃から、「メジャーに行きたい」と話していたので、私がアメリカで育ったことも、妻候補としては大きかったのかもしれませんね(笑い)。
結婚を決めたときには、「僕の結果であまり一喜一憂しないでほしい」といってくれました。「負けたら僕の責任だし、勝っても僕のおかげだから」と。少し気が楽になりました。
私は「何かあったら、私が食べさせてあげる」っていいました。アスリートは突然のケガで選手生命が絶たれる可能性もあります。結局、主人のメジャー行きについていくためフジテレビを辞めましたけど、当時は会社員という安定した立場だったので、「いざというときは私が」と思っていたんですよ。
●木佐彩子(きさ・あやこ):1971年東京都生まれ。小・中学校時代は米ロサンゼルスで過ごす。1994年フジテレビ入社後、3年目から『プロ野球ニュース』キャスターを務め、2000年に結婚。3年後に退社する。現在BS朝日『いま世界は』に出演中。
※週刊ポスト2015年5月22日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150512-00000009-pseven-ent
NEWS ポストセブン 5月12日(火)11時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150512-00000009-pseven-ent.view-000
石井一久氏との結婚について振り返る木佐彩子アナ
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